河内長野合唱交流会の講師を務めてきました。

緊急事態宣言が解除されて、公の場での最初の事業となりました。
宣言があけても、まだそれぞれの合唱団の運営はぎくしゃくしています。そんな中、どれだけの人がお集まりいただけるか心配していましたが、80人もの熱心な方々がご参加くださいました。

源田さんの編曲による「花」「荒城の月」「浜辺の歌」3曲が教材。それを午前と午後2時間づつ4時間の講習でした。

「花」の歌詞は源氏物語からの引用・・・
「荒城の月」のお城論争・・・・
「浜辺の歌」8分の6拍子の歌唱法・・・に加えて

「ベートーベンの死後(1827年)40年に明治政府樹立、その10年後に東京音楽取り調べ係が設立、音楽教育の規範をドイツを中心とする西洋音楽と定められ、その10年後に東京音楽学校が設立、滝廉太郎が学ぶ。1900年に「花」「荒城の月」が発表される。(同年ヤマハアップライトピアノが製造される。)その功績によりドイツ留学に。ウイーンでもベルリンでもなく、バッハの街「ライプツィッヒ」を選択。しかし大志を抱いて赴くも、結核にかかり、強制送還。僅か23歳で生涯を閉じる(1903年)。この間僅か70年。そして1980年代日本の家庭におけるピアノ保有率は20%を超え世界一となる。この一連の流れ、めまぐるしさにはただただ驚くばかりです。」

『「き~んぎょ~」「さお~だけ~」という今は聞かれれなくなった行商の呼びかけに、懐かしを覚える。西洋音楽にはないこの音程、これも私たちのDNAに脈々と受け継がれている立派な美意識だとも思うのです。』

そんなお話を交えながら交流会を終えました。河内長野合唱連盟の皆様、当番団としていろいろとお世話くださったピアチェールの皆様、そして熱心に耳を傾けてごくださった受講の皆様、ピアノの岡林純香さん、ありがとうございました。(写真提供 井谷様・ピアチェール)