【楽曲解説】ハレルヤコーラス 指揮者としての一考察

同志社香里オルフォイスグリークラブ75周年記念演奏会のアンコールとして、ハレルヤコーラスが組まれていた(自分で選んだ曲ではない)。祝祭的な意味合いの強い演奏会としては妥当な選曲だと思う一方で、よく耳にする「ただ声を張り上げて終わる演奏」にはしたくない、という強い思いがありました。

そのための指揮者としてのアプローチを模索していたら、この曲を「イエスのエルサレム入城」のシーンに置き換えてみればという気付きを得たのです。「ホザナ」と「ハレルヤ」と同じ響きを持つ同意語です。ヘンデルとジェネンズが本来意図した文脈(メサイア第2部の終わり、受難と復活を経た後の勝利の宣言)も時系列も異なります。でも今回のように単独で演奏される際には、本来の文脈から離れて解釈する余地があり、このようなアプローチも許されるはず、と私案を膨らませました。

私が思い描いた情景

エルサレムの丘からはるか遠方に、イエスの一群が見えてくる。ユダヤ民族がアブラハムやモーセの時代から2000年ものあいだ待ち続けた「救世主」の出現です。民衆は、その一軍に聞こえるようにHallelujahと歌い出す。冒頭の繰り返しは、まだ気づいていない隣人にも知らせ、喜びに広がり加わる、そのようなシチュエーションです。

細かいリズムのHallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!の連打は両隣にいる隣人と目を合わせて喜びの交換です。

やがてロバにまたがったイエスと弟子たちが、皆の前に立ち止まる。”The Kingdom of this world is become ・・・・” 誰となく、群衆は手にしていたシュロの枝を道に敷こうと膝まづき、「あなた様のお通りなる道はこちらです」、と一群を招きます。

フーガの部分について

“And He shall reign for ever and ever”のフーガでは、熱狂が少しずつ組織立った確信に変わっていくような時の流れです。

付点リズムの”King of Kings”のところは、群衆全体というより、一人一人が静かに跪くような、個々の応答として響かせます。

そして最後のブレスに込めたいもの・・・ここが最大のドラマです。

曲最後に4度も繰り返される”Hallelujah!”は、彼らの前を通り過ぎたイエスを追いかけ、一歩ずつイエスに近づいていく様と捉えます。そして最後のブレスには、いくつもの感情が入り混じっていてほしいのです。

  • 縋る(すがる)ように泣き崩れる人、
  • 目を輝かせて抱きついて歌う人、
  • 感動でその場を動けず立ちすくむ人――

そうした異なる個々のそれぞれの思いが一瞬に重なり合うようなブレスを合唱団の方と共有したいと考えます。「せーの、で吸って」ではなく、「あなたはこの瞬間、何を見ていますか」と、一人ひとりに問いかけたいのです。

もう一つ、心に留めておきたいこと

エルサレム入城の熱狂から、わずか5日後にイエスは十字架にかけられる。「ホザナ」と叫んだ同じ群衆の一部が、数日後には別の言葉を叫ぶことになる――。「十字架にかけろ」と。この落差を思うと、ハレルヤコーラスの熱狂そのものの中に、どこかもろく、不安定な何かが潜んでいてもいいのではないかと思う。あの歓呼は、永続する確信というより、熱に浮かされたような、儚さを孕んだ(はかなさをはらんだ)喜びだったのかもしれない。そう考えると、最後のブレスに滲む様々な感情の中に、まだ言葉にならない、無自覚な予感のようなものも重ねられるかもしれない。

しかし、このポイントは今回の演奏にあたっては合唱団員の皆さんの心の奥にそっと秘めておいてもらうことにします。


これはあくまで、今回の演奏会のために思い描いた、一つの解釈に過ぎません。それでも、この解釈を合唱団のみんなと共有したい。なぜなら「声高らかに歌って、はい終わり」にしたくないから・・・・。頭に浮かぶ景色の共有が演奏に生命を与えてくれることと信じています。きっと誰もこんな光景を思い浮べることなどなかったでしょう。この曲を歌い慣れた皆さんに、「新鮮な一撃」を感じ取ってもらえたら嬉しいことです。

もっともこの解釈を合唱団と共有できるのは、彼ら彼女らにミッションスクールでの聖書の学びがあるからです。楽しみにしています。
注記:文中の挿絵はAiに書いてもらいました。私の書くストーリーを描いてしまう、すごい業ですね。もっとも、この画像の完成まで一コマずつ「指示するー修復する」の繰り返しが続き、ずいぶんと根気と時間を費やしました。